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編集日記/みつばちの聴いた「ちょっとイイ話」♬

  • 2012/09/28
  • BLOG
  • みつばち

小名浜にあります「寿司れすとらん小太郎」の社長より
35年ほど前の板前修行時代のお話を伺いました。

「鬼の大国、地獄の花家、
 死ぬよりマシな白雲閣、生きて帰れぬ日本橋葵」

当時、日本調理士会の中には、こんなふうに形容されて謳われた
修行する場として、とても厳しいと定評の組織があったとのこと。

そんな世界で、こちらの社長が所属していたのが
「日本橋葵」でした。

和食料理人というのは、調理の腕のみならず、
旬の野菜から季節の行事、料理をよそうお皿の模様など
覚えなくてはいけない作法等も習得していなければならない...。

お弟子さん達は、あるはずの休憩もとれない毎日を送り、
雑用をこなしながら、料理修行に精進し、腕を磨くんだそうです。

そして、腕を上げるためにと
次は組織内の繁忙店へ助っ人として派遣されたり
やはり、休息という言葉はない。
体力的にも厳しい毎日が繰り返されるので、
「もう今日で辞めてしまおう」と何度も何度も思い
毎晩の枕元には、いつでも帰れるように荷造りを用意して
過ごしてきたと聞きました。

そんな当時、社長の心の支えになったのが
とある「マッチ箱の表紙」。

「明日はいわきに帰ってしまおう」と、
「今日が最後の東京の夜だ」と決心し
ふと足を向けた居酒屋で手にとったマッチ箱。

小太郎Card.jpg


そこで、運命が変わった。
それからの日々は、
マッチを眺めながら「あと1週間がんばろう」と思い直して邁進し
いつしか、6年が経過。

この素晴らしい出会いが、大きな心の支えとなり
後の自信に繋がったことを語ってくれました。

小名浜で自分の和食料理店を取り仕切る社長となった現在でも
社長は、まだこのマッチ箱のパッケージを持ち歩いていらっしゃいます。

想像を絶する苦労話と、それを乗り越えたという
心温まるエピソードを聴いて、感激です。

なんだかわたしも希望を持ち続けながら
日々を邁進していきたいなと思うようになりました。

(人´∀`).☆.。.:*・゚

社長の大切なマッチ箱のパッケージ
どこかで見せてくれるかもしれませんよ♪